アンビバレント 博士課程日記 #4

しばらく研究関連の締切に忙殺されていた。

忙しいのは良い。

余計なことを考える必要がなくなる。

でも、やることに追われて、うまく進捗が生めなかったりする。あるある。そうするとどうしても、もうダメかも、この道は無理なのかも、とか考えてしまう。

数年前まではそんなことはなかった。

今はできない、ダメそうだけど、このままやり続けていればできるようになる。そういう未来への楽観があった。なんとかなるという気持ちで前に進めていた。

でも最近はそういうのがなくなってしまった気がする。なぜなのだろうか。

研究や学術に真剣に取り組み始めて5年以上経った。

正直過去数年の記憶はあまりないのだけど、とても濃い日々ではあったから、意外とまだ5年しかやってないのかという気もする。

年齢的な影響もあるのかなと思ったりもする。

特に大学院前とかに就労経験とかがあるわけではないので、そこまで年くっていないと言われればそうなのだが、やっぱり周りの人生が進んでいることを実感するのは大きいのかな。

特に自分がこうして、あまりうまくもいかず、くすぶっているような(主観的な)状態だと、ますますそういうことを感じざるを得ない。

自分の取り組んでいることに熱中していて脇目も振らずという状況なら、話はまた別。

自分も数年前まではそうだったと感じるし、自分の道は正しいのだと信じていた。悪いフォームでペースもぐちゃぐちゃだったが、なんとか走り続けていた。

去年の冬くらいに自分は足が止まってしまった。なんとか諸々の要件もあるので、なんとか持ち前の「やらなくちゃいけないことを気持ちを殺してもやる」で一年くらい押し通している。

押し通していればこの方向で何かブレイクスルーもあったりするのかなと思ったけど、今のところはこの道は厳しいのかもしれないという気持ちだけが積もってきてしまう。

最近はますますこの道を諦めそうである。

なんとか博士号は取りたい。それもなかなか厳しいかもなって感じる日々。

最近そんなことを考えていたら、自分の内面も見えてきた。

これは昔から感じていたことだけど、自分に自信がない。

基本的に自己肯定感が低い。

だから、周りに認められたいという気持ちがある。

でも、期待はされたくない。

認められて期待されて。それも避けたい。

一人になりたい なりたくない みたいな。

失望されたくないというのが一番大きいのかもしれない。

昔からハードルコントロールは徹底していたし、今も自然とやってしまう。

自己肯定感の低さは、自分を他の人を通じて定義しがちという形でも現れているように感じる。

天邪鬼な部分もあるので、他の人がやっていないことをやりたくなる。そこが自分がやるべきとこだと思ってしまう。

そういうのは、うまくやれば、ある程度うまくいく気がする。そうやって、自分を出してきた。

研究の世界でもそういう部分はあると思う。

結局人と同じことをしていてもダメという部分もあると思う。

でもそれは、まず根本で「こういうことがしたい」「こういうことに興味がある」っていう芯があって、その上でじゃあさらに自分の付加価値を出すためのものなのだろうなということがだんだんわかってきた。

一発何か出す分には、ある程度価値がありそうだけど他の人がやっていないことに取り組むのは、結構効果的な気がしている。

しかし、そこから一歩出て、もっと長いスパンで考えた時に、それではもたないなと感じ始めた。

ここ2年くらいずっと「自分が興味あることって何?」と考えることが多い。

でも、いつも答えは一緒で、本当に興味のあることなんてないのかもしれない。

特に研究生活・博士課程5年以上というマラソンを走り抜くには、そういうIntrinsicなモチベーションの重要性を感じずにはいられない。

ずっと頑張れている人はみんなそういうものがあるように見える。熱がある。

これは別に研究だけじゃなくて、以前お世話になった民間企業の方々もそうだった。

これをやるんだって信じて進めるものがある人は強い。今すぐに結果が出なくても、そんなの関係ない。

自分にはそういったものがないのかもしれない。

認められたいと思った人たちに認められたいという気持ちや、他人から定義した自分で、今までは進んできたような気がする。

それでもある程度までは身を粉にしたと言えるくらい頑張れるのは自分の強い部分ではあるのかも。

ただ、だんだんそういった最初のパワーだけでは乗り越えられない段階になってきた。

研究も、昔から出版に向けて取り組んだ論文も、「結局これが出版されても、このジャーナルだし、なんの意味があるんだ」って思ってしまった。

そういう中でも出版できるように頑張ってはいる。

なんのためにやっているんだろう、という気持ちは拭えないけど。

ジャーナルのランキングとかも、根本に自分のやりたいことや興味があって、その上で存在するもののはずなのに、自分の中では後者が薄いために前者のゲームという感じになってきてしまった。

それでもゴリ押して良い研究をして良いジャーナルにも論文出してっていう力があれば別に何の問題もないのかもしれない。

自分にはそういった力もない。実力不足を痛感する日々。

もちろんここからまだ努力を続ければ、もっと良い研究をできる力はつくかもしれない。

でも、そこまでに自分の歩みを進めるための根本的なエネルギーが足りていない。

こういうことを考えて、研究の世界は向いていないかもしれないと感じる。

と同時に、他で仕事を得たところでその根本がないのは一緒だから、結局自分がどこで折り合いをつけられるのかなのだろうか。

人生も研究も本当に難しい。

生活を整え始めた話 博士課程日記 #3

3週間ほど前から謎のスイッチが入り、生活習慣を整え始めました。

それは突然訪れました。長らく研究に身が入らない・ずっと疲れている等の原因の一部は広く生活習慣なのではないかとうっすら感じていましたが、特に何か特別なことを考える・することもなく過ごしていました。

そんな折、『スマホ脳』(https://amzn.asia/d/8tOcqPt)という本や、またYouTube上で生活習慣等について取り上げている方のチャンネルと出会い、「習慣を変えたら状況も改善するのでは?」と色々ためし始めました。

youtube.com

例えば、

  • X(旧Twitter)やInstagram等のSNSアプリをスマホから削除してできるだけみない
  • 朝起きて、カーテンを開けて外を見ながら歯磨き→白湯飲む→冷水シャワー
  • 今まで定期的な筋トレ等はしていなかったので、とりあえず毎日プランク
  • コーヒーは昼過ぎ以降は飲まない
  • 1日20分だけでも研究と関係ない本を読む

などなど… これらの具体的にものに加えて、寝る時間も以前より早めるようになりました。

まだ始めてから3週間ほどですが、心身の調子にそれなりに影響しているような感覚はあります。

特に以前は研究の合間や移動中等いつでもスマホTwitter等を見て貪るように色んな情報や声に脳を浸していましたが、それがなくなり少し本業に集中できるようになったのではないかなと。

ただし、Twitterを通して最近の研究関連情報も仕入れているので、PCのブラウザからはアクセスできるようにはしています。

たまに禁断症状が出て、ブラウザ上でたくさん見てしまう時もまだありますが… とりあえず無制限にいつでも見れる状態でなくなったのは良いことかもしれないなと感じています。

しかし、研究への身の入り方ややる気、倦怠感はまだまだ問題ではあります。

今週は特に毎日疲れがひどく、かなり生産性も低い状態でした… 1ヶ月後に古い論文の改訂締切があるので、何とかそこだけは終えたいのですが、なかなか難しいですね。

習慣ではどうしようもできない部分もありそうではありますが、これらの習慣を維持しながら徐々に他の部分も変えていければ何とか生きていけるかな?

脳疲労?

ここしばらく、頭が全然働かず、ずっと1日中疲れています。

研究セミナーに参加したり、指導教員や同期と研究の話をしたりしていても、内容が頭に入ってこないような時が多くなってきました。

こういった状況はこれまでもあったのですが、最近かなりひどくなったように感じます。

特にここ2、3週間は集中力も続かず、研究室に来てもあまり作業を始められない。始めても1時間ほどしたらすぐに疲れて頭が動かない感覚になってしまう。研究の進捗はほぼないに等しい状態になっていたりします。

なんとか最低限の事務や研究に関する作業は行なっていますが、生産性は非常に低い状態です。

どうしたもんか?と思いネットで検索すると出てきたのは「脳疲労」。

例で挙げられている症状が結構当てはまる… ということで調子が悪いのはこのせいか?と疑っています。

実際、原因の一つとして挙げられているスマホやPCの使い過ぎは大いに当てはまっている気がします。休憩しようとなると、とりあえずすぐX(旧Twitter)を開いて、研究や趣味関連のあれこれを頭に流し込みます。若干中毒っぽい状態なのかもと感じるほど、無意識に開いてしまってしまいます。自分で投稿することはほとんどありませんが、何か新しい情報や色々な「言葉」が流れ込んでくるのが心地よく感じいる部分はあります。

ということで、休憩中や移動中のスマホいじりとか減らそう!と思い始めましたが、やはり心は弱いものです。疲れた… という時やストレスを感じると、とりあえずそこに逃げ込んでしまっていました。習慣と化してしまっているようです。

とりあえず他の対処法も試そうと思い、『脳疲労が消える最高の休息法』(https://amzn.asia/d/5KTjK9I) という本を読んで、マインドフルネスを取り入れ始めました。

Meditopiaというアプリも使っています。睡眠導入のプログラム?もあり、寝付けない時にたまに使用していて、思ったよりも効果がある印象です。

meditopia.com

しかし、今のところ疲れる溜まる方が早いのか、そもそもマインドフルネスを完全にものにできていないのか、まだ自分の調子は悪いままだなと感じます。

結局根本的な原因に対処する必要があるんですかね。その上でマインドフルネス、というのが良さそうですね。他にできることは何かありますか?

とりあえずスマホですね。Xのアプリ消すか…?

「博士課程を辞める時期の見極め方」

昨年冬から博士課程を辞めたいという気持ちの波が来るようになりました。

その波に耐えられない時もあり、すがる思いで博士課程を辞めることについてネット上で調べるようになりました。

その時にYouTubeで出会った動画の一つがこれです:

www.youtube.com

フリンダース大学 (Flinders University) というオーストラリアの大学にあるOffice for Graduate Researchというところが出している動画の一つです。このチャンネルでは他にも大学院・研究に関する様々なテーマを扱った動画を公開しているようです。

この動画のタイトルは「博士課程を辞める時期の見極め方」("How to know it is time to quit a PhD") です。辞めるタイミングをどう知るか・判断するかということもタイトルの通り話しています。

しかし、それだけでなく、どういった場合には「博士課程を辞めずに続けるべきか」「続けるなら、どういうすべきか(メンタリティや指導教員等)」というところまで語っています。むしろ、そういった内容の方が多いです。

なかなかクセのあるオーストラリア英語ですが、全体として非常に冷静な内容で、タイトルに比して前向きな印象もあります。

特に、多くの人が無意識に抱いてしま(い苦しんでしま)うような博士課程への向き合い方について、なぜそれが間違いか、ではそれをどう変えるべきか、一つの意見を提示してくれます。

大学院でエネルギーに溢れて研究している方は見る必要はありませんが、何か大学院関係で悩み辞める選択肢も頭に浮かんでいる方には一見の価値ありかもしれません。

博士課程日記 #0

はじめまして、現在海外某国で社会科学系の博士課程に所属しています。意気揚々と日本を離れPhD留学した私ですが、色々悩むことも思うこともあり、このブログではその辺りを吐き出していきたいと思います。ネガティブなことも多くなるかと思いますが、一学生の観察記録としてお楽しみ頂ければ。

私のこと

観察対象の文脈が不明では何の話をしているか分からないかと思うので、私のことを簡単に書いておきたいと思います。

  • 年齢:20代後半(30歳までもう少し)
  • 学年:博士課程3年目
  • 研究:統計・データ分析するタイプ

何がこのブログ開設に掻き立てたか

一番の理由は、博士課程を続けることへのモチベーションが分からなくなってしまったことです。

私は日本で学部・修士を終え、それから海外大学の博士課程プログラムに留学してきました。修士の頃は、自分の単著修士論文だけでなく、他の教員との共著プロジェクト等にも取り組んで、ほとんどの時間を研究室で過ごす生活が留学までの3年ほど続きました。必死でした。

何とか論文がジャーナルに出たり前に進んではいましたが、この働き方では一生は続かないとは常々感じていました。偏頭痛や胃腸の不調が当たり前で、論文の追い込みの時期に一度ストレス等で四十肩にもなりました。しかし、やることは目の前に積まれ、それに向き合わずタスクが溜まっていることからもストレスを感じていたので、何とか目の前のことをこなしていました。

当時の研究テーマも必ずしもこれからも取り組みたいことなのかは分からないものでした。多くの先人達が「留学したら大体興味関心も研究テーマも変わるから」と言っていたのを真に受けていたので、ひとまず今の自分が興味あると感じたこと・現実的に取り組めることをテーマとして選び研究していました。

元々、博士留学をして、海外で揉まれて研究者としての力をつけたいと考えていたので、留学するためにも頑張らねばという気持ちでした。

留学すれば新たな環境でまた一からスタートできるはず。こんな労働集約的な研究生活も今のうちだけかもしれない。そう考えていました。正直、「今辞めても後悔しないかもな」とは思っていたのですが。

そんなこんなで2年前、博士課程への留学を開始しました。自分が行きたいと考えていたプログラムのひとつです。憧れていた研究者がいたり側から見ればそれなりにマッチの良いところに行くことになったと思っています。

博士課程に進学してから

1年目(+2年目)は授業が中心であり、指導教員も2年目まで決まらないスタイルのため、すぐにこちらでの研究を始めるわけでありません。元々うっすら興味関心の方向性はあったものの、せっかくだから色々見てから自分の研究の方向性を決めようと考えていました。

しかし、それは前向きな意味合いからだけではなく、自分の中でのモチベーションの変化も映し出していたからなのかもしれません。

博士課程1年目の途中から徐々に自分の中での興味関心などの内的動機が薄れていく・なくなっていくような感覚を得るようになってきました。

そうした感覚は2年目も続き、むしろ進行していきます。特定のフィールドの授業を履修している中でも、自分で何に興味があるのか分からなくなり、途方に暮れました。様々なことに薄らと「面白い」という感覚は得るのですが、どれもその程度で、「私はこれが研究したい!」と感じるものがないという状況です。

それとともに、博士課程で自分を踏ん張らせるのにより力が必要になってきてしまいました。慢性的に疲労感も感じ、いわゆるやる気が起きない状態になり、大学院に入ってから初めて「辞めたい」と感じるようになってきました。少なくともアカデミアに一生自分がいるイメージはできなくなりました。

ただ、必ずしも今勉強・研究している学問が嫌いになったわけではなかったため、周りにも話を聞いてもらったり、ネット上等で様々な人の経験・意見を見て、ひとまず今できることをしようと決め、何とかできることをやってきました。

そして、今

3年目が始まりましたが、私はまだ渦の中です。

疲労感も抜けず、いつからか分かりませんが昔に比べると頭も動かない感覚に陥ります。なぜこんなことしているんだろうと感じることもあります。

周りの同期が自分の研究アイデアや進捗を話している姿が眩しい。

指導教員はとてもencouragingでコミュニケーションもしやすく、これ以上ない人です。

そういった状況でもこうなってしまう人はいるんだなと自分を見て感じます。

何とか毎日研究室には来ますが、なかなか前には進みません。

ここまで来たら何とか博士号だけでも取りたいという気持ちはあります。周りにもにもそう言われます。

このブログではこうした日々の中でも何とか博士を取得するまでの道のりを綴りたいと思います。